社 殿
吉弘神社の神殿(石祠)は、完泳9年(1632)から10年(1633)頃拝殿は嘉永7年(1854)9月に造営されました。
その後、大正11年9月、子孫 吉弘茂義をはじめ崇敬者により、神殿、拝殿が造営されました。
現在の拝殿は、吉弘統幸公御神忌400年の記念事業として、平成13年4月に創建されたものです。
墓
吉弘神社裏の叢林中にある板碑型の墓碑。隣接して祀っていある石祠は、統幸の二男吉弘正久が仕えていた細川家が建立したもので、細川家の九曜紋と吉弘家の家紋が刻まれています。
(市指定有形文化財:昭和47年5月10日指定)
下馬の松
統幸公の忠節を後世に伝えるため、熊本城主細川公により植えられました。
年を経て老松が枝を垂れ、従来の旅人や参勤の諸公がその場を馬で乗り越せば必ず落馬のたたりがあったことから「下馬の松」と呼ばれました。しかしながら明治初年、心なき者により伐採されてしまいました。
現在の松は、当時の大分県知事田中千里により植えられた二代目の松です。大阪府知事林市蔵の一句「代から代へ 緑伝えよ下馬の松」が刻まれた碑があります。
御神石
御本殿の一番近くにある大きな石。
この石に触れると御利益があると云われています。